セ二サック淳の『HAPA英会話』
ロサンゼルスの英会話スクールByeが生まれるまで
ロサンゼルスの英会話スクールByeの校長でもあります。
この学校は30年近い歴史があり、
その校長のセニサック淳の『HAPA英会話』は、
長年の授業での経験、ノウハウが凝縮された内容となっています。
それでは、
この『HAPA英会話』の著者であるセニサック淳の人物を紹介しましょうといいたいところですが、
セ二サック淳はアメリカのロスアンジェルスでアメリカ人の父親と日本人の母親の間で生まれました。
セ二サック淳は生まれながらのバイリンガルなのです。
ということで、
どうして日本人の母がロスで生活するようになったのか、
まずはそこから紹介していきましょう。
セニサック淳の母親は、セニサック陽子といいます。
昔から英語が好きで、また新しい世界を見たい気持ちから、
そのうえ父親のすすめもあり、17歳でイギリスへ短期留学にでかけます。
しかし「これではいけない!」という思いから長期留学を決意し、
家族の理解もあり、結局5年間の長期留学になったそうです。
そして帰国して、
日本で英語を教えているうちに現在のご主人と出会い、
国際結婚をしたのです。
そして渡米し、
子育てなどしているうちに、
センサック陽子の回想では、
『「そんなに英語ができるのだから駐在員の奥様たちに教えてみたら?
わかったふりをしているけれど、聞きたいのに聞けないでいる人も多いのよ。」
ある日プールで和んでいるときに駐在員の奥さんから言われた
この言葉から全ては始まった。
軽い気持ちで羅府新報(カリフォルニア州ロサンゼルス市に本拠を置く日本語新聞)に「英語教えます」の広告を載せてみたところ、
何人かからお問い合わせをいただきアパートで教え始めることに。
生徒さんが15人ほどに増えた頃「BYBイングリッシュセンター」を立ち上げる。』
というわけで、現在ではセニサック淳が校長をつとめるロサンゼルスの英会話スクールByeが誕生したのでした。
母親が日本人のセニサック陽子とアメリカ人の父親という環境で育ったのがセニサック淳なのです。
普通、バイリンガルというと、
ひとつ母国語があり、外国が母国語ほどではないにしても、
かなりできますというレベルの人がほとんどです。
しかしセニサック淳は、
英語と日本語と、どちらが母国語なのかわからないというようなレベルで、
英語と日本語の両方に精通しているのです。
セニサック淳の言葉を引用すると、
『生まれたときから僕は英語と日本語を両方耳にして育ってきた。
おそらく僕の父親は英語で話しかけ、母親が日本語で話していたんだろう。
父親側の親戚もよく面倒を見に来てくれていたのでそのときはもちろん英語。
いつもベビーシッターをしてくれていた母親の日本人友達とは日本語。
こんな環境で育ってきた僕は、幼少期から頭の中はごっちゃごちゃ。』
というわけで、生まれながらにして英語と日本語にどっぷりつかっていたのです。
しかし、学校に行く年頃になると、
『両親が共働きだったこともあり、朝から夕方までは英語OnlyのアメリカのPre-schoolに通っていた。』
という生活で、日本語よりも英語のほうが得意になったそうです。
ところが、ここで父親が思いもかけないような提案をしてきたそうです。
「アメリカに住んでいれば英語は自然と身につく。
だけど日本語は子供のときから基礎をしっかり勉強しておかないと忘れる。
特に発音は大人になってからじゃ遅い。
だから小学校は全日制日本人学校に入れよう。」
ということで、
日本語学校に通うようになったのです。
再びセニサック淳の言葉を引用すると、
『数年前父親に、なぜ自ら僕を日本人学校に入れることにしたのかを直接聞いてみた。
すると意外な返答に驚かされた。
「アメリカのコメディー見て面白さが分かるだろ?日本のお笑いを見ても爆笑できるだろ?
その特別なGiftをもてる大人になってほしかった」。。。
「え?両国の笑いを理解してもらいたかったから?!」』
ということで、
英語と日本語のどちらの国のコメディーやギャグまで理解できるというレベルのバイリンガルになれたのです。
そして親の創設したロサンゼルスの英会話スクールByeでの、
長年にわたる授業経験から得た英語を教えるノウハウを惜しげもなく注ぎ込んだのが、
HAPA英会話なのです。